2016年 05月 18日
しりとりエッセイ・麝香 |
5/5(木・祝)宮永遼平さんとの演奏会を喫茶ポエムで催した日、新曲を2つ披露しました。一方は「とき」というもので、まぁ、こんな感じの曲です。いまの自分のモード、という感じ。もう一方は「麝香」というものです(後述のsoundcloudのリンクにてお聴きいただけます)。
わたしと宮永さんはハロー!プロジェクトというカルト宗教にまんまとハマっていて、音源、映像作品、握手会に2L写真、とそれぞれを通じて、お布施を払い続けてるのですが、
宮永さんの「実り」という楽曲は田村芽実さんをモチーフにした楽曲で、これが田村さんをモチーフにした二次創作では他の追随を許さないもので、ああ、宮永さんというフィルターを通せば、こうなるのかと、合点のいくことしきりでした、
宮永さんとご一緒するならば、私も中西香菜さんをモチーフにしたものを作曲するのが、なんとなくふさわしい行為のように思いました。純粋に、応援している子をモチーフにする、という意味以上に、田村さんと中西さんという関係性が重要で、運命的で、というのが、田村さんと中西さんはスマイレージというグループ、いまはアンジュルムに改名しているのですが、そちらに所属し、同時にデビューしました。6人いるメンバー中、田村さんと中西さんを除いたメンバーはハロプロエッグ、という研修生出身で、つまり、田村さんと中西さん以外は勝手を知っている仲。ハロプロの流儀もわからないまま、四苦八苦する2人は、やがてメンバー内での紛争が起こったとき、もちろんこれは、プロレスなのですが、チーム強者として、何がハロプロエッグじゃい、言わしてもらうけどやなァ、おい勝田、と狼煙をあげたりも、しました。
田村さんは、ハロプロエッグではなかったけれど、幼いころから舞台を経験していて、正統にハロプロのレールを歩むエッグ出身者に対し、いわば、番狂わせとしての立ち位置を担っていた、一方、中西さんは、歌も踊りも演技もしたことがない、大阪から出てきた、ただの中学生だった、それが関西弁を買われて、つんくさんに期待され、そのそばには、経験値は違えど、境遇は同じである田村さんが常にいたわけで、田村さんの驚異的な表現力に追いつけと、パフォーマンスを向上させてきたわけで、歌やグループ内での立ち回りで、重要な役割を担うことも増えてきました。
そういうふたりの関係性は一等にまぶしく見える。だから宮永さんにとっての田村さんのように、折しも、田村さんの卒業公演を控えている今だからこそ、わたしも、中西さんをモチーフにしたものを作曲すべきだと思ったのは、不自然なことではありませんでした。
○
「麝香」
ここは わたしの国
動くのよ あなたたちも
ホラ 靴を脱いで 銃をかざすの
その手に歌が とどくまで
born to be blue
but I'm the biggest pink
もう聞き違えたりはしない
そのときは やって来ているから
born to be blue
but I'm the biggest pink
わかるでしょ
わたしちがうでしょ
○
「実り」に対抗して「香り」というのも、まんますぎるというか、これではあまりにも、あくまで中西さんは、田村さんの二次的なものであると謳うようなものではないかと思い、自分なりにアウトプットした結果、「麝香」と相成りました。中西さんは、麝香のように、正統ではないけれど、フシギな魅力のあるひとで、ものすごくフツーそうに見えて、ずっとメーターを振り切ったまま、ドライブ感のすごい会話をしたりと、クセになる、女子としてのすごみのようなものがあり、いい得て妙だと思います。
スマイレージをスマイレージたらしめていた楽曲として「ヤッタルチャン」というものがあり、そしてこれはほかのメンバーがまったく見えてこない、強烈に中西さんしか、そこにいない、中西さんの代表曲であって、つまりスマイレージとは中西さんなんです。
ある楽曲に対し、発表時のオリジナルメンバーのひとりでも抜けた時点で「最善」が成立し得ないのがグループアイドルの宿命だと思います。善であっても、最善ではない。ヤッタルチャンに関しては、中西さんのパートは中西さんにしか成立し得ないし、中西さん以外のパートは中西さんのパートを持ち上げるためであるかのように思えるくらい、それほど、中西さんのための楽曲で、スマイレージというグループの文脈に沿って表現できるのは、この世界で中西さんしかいない。代替はきかない、善すらも起こり得ない、
その中西さんはヤッタルチャン大作戦により、日本中をあふれんばかりのヤッタルチャンで埋め尽くし、
結果、ヤッタルチャン大国という一国の主と相成りました。
ここはわたしの国、と歌っているのは、ヤッタルチャンであふれんばかりの国、つまりヤッタルチャン大国のことです。動くのよ、というのは、動く、つまり、やったるのよ、という意味で、ヤッタルチャンになるんやで、というニュアンス、
靴を脱いで銃をかざすの、というのは先述の動画にもあるように、ベッドの上で中西さんがヤッタルチャンたちにシュプレヒコールする様子をトレースしました。その手に歌が届くまで、というのはふたつの意味があり、まずひとつは、銃をかざす、賛同しているあなたたちの、その手に楽曲としてのヤッタルチャンが本当に届くまで、本当にやってくれるまで、という意味。もうひとつは、まだ銃をかざしていない、ほかのメンバーが目当ての、握手会でなんとなくただ手を差し出しているだけのものたちにも、歌が届いて欲しい、という意味があります。
born to be blue/but I'm the biggest pink。もともとスマイレージ時代はイメージカラーが青色だった、しかし、名義がアンジュルムへと変わり、その際に、ピンク色になった。その華やかなイメージチェンジだけでなく、実際にセンターに花を添えるように配置されることも増えた。そもそもにアンジュルムという名義を考えたのは、中西さんの案が採用されたからなのであって、そういうビッグな役目を担うような、ピンクになったよ、という意味。biggestは、跳躍ですが、あでやかな、という意味にもなればなと思っていて、大人の女性に近づいてるんだなぁ、と先日の握手会でそう思ったことを反映しました。
聞き違えたりしない。中西さんは、聞き違えるひとだという印象があって、しかもその聞き違いが、重要なポイントとなるというか。そもそもつんくさんは、中西さんのことを「かなな」と呼んでいた、ところが、ずっと本人は「かななん」だと思い込んでいた、それで結局、「かななん」が定着した、という話。それからデビューお披露目会のとき、つんくさんが「大阪のいいところはどこ」と問うたところ「コスガさんのいいところですか」と、肩を並べていた小数賀芙由香さんのいいところですか、と問う場面が、印象に残っている。その問い返す仕草や間が、麝香なんである、
ビッグなピンクになり、次のタイミングを待ち構えている、だから今度こそは、銃を撃つタイミング、他の銃声、そのどちらをも聞き違えたりはしないのだ。だっていまそのときは、もう、やってきているように思えるから、
born to be blue。憂うつな日々もいまは、あでやかになった。レコーディングブースから追い出されたり、怒鳴られたり、踊れていない様子を全世界に配信されることとなったり、それでも続けることで見事、武道館に立つのも、今度で3回目となる。田村さんが卒業する。次は、わたしがやっていく番だと、信じることができるように、いつでも唱えてほしいので、頭韻を気にしました、
最後の、わかるでしょ、わたしちがうでしょ、というのは、中西さんが初めて歌割をもらった箇所をそのまま引用しました。「プリーズ!ミニスカポストウーマン」の二番なのですが、本来はそのあと、田村さんが続いて、小学生のころとは違う、わたしを見てよ、と歌います。小学生とは違うわたし、より一層、更に違えることに成功したわたしを見てよ、という風に、とってもらえればなと思っています。デビュー当時は、比喩でもあり隠喩でもあるのですが、まだ首も座ってないような中西さんが、元気にしゃかりきに、このフレーズを歌っていたけれど、いまや、たおやかに、歌うことができる。小学生のころとは違うわたしなんだと、思っていたころを回想しながら歌うかのように、わかるでしょ、ちがうでしょの、それぞれの「しょ」のアルトの微弱なビブラートに、中西さんのやわらかな香りが満ちているように思う。歌いあげるのではなく、ゆったりと声をだす、その一瞬、声の奥に微笑が見えます、
by uncowakigerecords
| 2016-05-18 12:00
| しりとりエッセイ(水曜更新)